終南山悟真寺

悟真寺  本堂

悟真寺  本堂

「終南山悟真寺」:三戸町同心町字諏訪内

浄土宗の寺院。本尊は阿弥陀如来(青森県重宝)。寛永年間(1624~1643)に鉄堂和尚が開山したといわれています。寺伝では大泉寺が盛岡へ移転した後、跡地に建立されたとされます。

糠部三十三番のうち二十五番札所の観音堂が境内にあります。

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

【阿弥陀如来立像】  鎌倉時代(県重宝)

享保19年(1734)と天保9年(1838)の2度の火災により、悟真寺の本堂、寺宝、古記録のほとんどは焼失しますが、本尊であるこの阿弥陀如来立像は僧侶が持ち出したため、焼失することなく現在に伝えられています。

この阿弥陀如来立像は鎌倉時代の初め頃の作と考えられ、町内にある木彫像の中では最も古いものです。また現在はわずかに残るのみですが、作られた当時は金箔が貼り付けられていたものです。

平成18年度に実施した解体修復により、胎内に納められた古文書が確認され、現在調査が行われています。

(割矧造金箔漆箔  像高78.8cm ヒノキ科)

弘法大師坐像

弘法大師坐像

【弘法大師座像】  江戸時代(町指定文化財)

この像は南部氏27代利直の4男である南部利康をまつる正智院という寺院に伝わったものです。

像の背面には「正智院6代の住持紹慶がこの像を求めて寄進した」という意味の文字が朱で記されています。

正智院の過去帳では紹慶は享保10年(1725)に亡くなっていることから、この像は享保10年以前に作られたことがわかります。

正智院は、明治になって住職が神職へ変わったことで廃寺になり、寺の建物は売却されました。このとき、元三戸御給人佐藤耕左右がこの像を購入し、悟真寺へ寄進しました。

(寄木造  玉眼入  像高49.5cm)

十王図(全体)

十王図(全体)

【十王図】  江戸時代

中央上には閻魔王と下に木札を持った司命と司録がおり、残り5人の十王が描かれています。

上半分の右から、蛇に巻かれる亡者、鬼に鋸で切られる亡者、鳥につつかれる亡者、犬に食べられる亡者、釘打ち刑を受ける亡者、奈落におとされる亡者が描かれています。

下半分は右から、賽の河原の様子、石で押しつぶされる亡者、畜生道に落とされる亡者、餓鬼道に落とされる亡者、火あぶりにされる亡者がみられます。

また下にはこの絵の作者である松岡北翠の名が見られます。

戊辰役戦没者招魂碑

戊辰役戦没者招魂碑

【戊辰役戦没者招魂碑】  明治時代

明治27年8月、「天下の大兵を孤城に受け、激闘三月、一人の叛く者なく、刀折れ、矢尽き、斃(たお)れて後ち已(や)んだ幾千人の忠節」を伝えるため、渡部虎次郎らを中心とした三戸地方在住の旧会津藩士が相談の上、城山から石垣2個を払い下げてもらい、悟真寺へ建碑しました。「招魂碑」の文字は旧斗南藩主松平容大、碑文は能書家として知られた渡部虎次郎(道雲)の筆によるものです。  

      広報さんのへ2009年6月号(No.574) 三戸町の古寺 より

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更新日:2019年12月10日