普門山林泉寺

林泉寺本堂

林泉寺本堂

普門山林泉寺:三戸町斗内字寺牛

曹洞宗の寺院。本尊は釈迦牟尼で元禄年間(1688~1703)に法光寺十二世風山慶門大和尚によって開創されたと伝えられ、安永3年(1774)に現在の場所に移転し、本堂や庫裏を新築したといわれます。

当寺の近くにある千人塚(青森県指定史跡)は、天明の飢饉による餓死者を供養するために、檀家の栗谷川藤右衛門が中心となって建立したものです。

釈迦如来座像

釈迦如来座像

【釈迦如来座像】  江戸時代

その特徴から江戸時代中期に活躍した、田子出身で八戸の大慈寺の住職であった、奇峰学秀(一七三九年没)が製作した釈迦如来座像と考えられます。一木造でかつては金色に彩色されていた跡が見られます。

奇峰学秀は半生を仏像の製作に捧げた僧で、学秀が生涯に作った仏像は2千体にも上るといわれます。正徳2年(1712年)馬淵川が氾濫した際に、二戸の竜岩寺に千体の観音尊像を寄進したことでも知られます。

学秀の彫った仏像は青森県南を中心に各地で見られ、八戸市の個人が所有する大黒天像は市の文化財に指定されています。

閻魔大王

閻魔大王

【地獄にまつわる木彫像】

仏教における地獄とは、この世界の一つで、最も下層に位置します。生前に罪悪を犯した者が行く世界で、地獄はサンスクリット語で「ナラカ」と言われ、奈落の語源となっています。死後、人間は三途の川を渡り、七日ごとに閻魔をはじめとする十王から七回の裁きを受けます。

裁きを受けた亡者は、釜ゆで地獄や血の池地獄、またのこで切られる、犬に食われるなどさまざまな罰を受けなくてはなりません。

林泉寺には閻魔王と十王をはじめとした、地獄にまつわる木彫像が数多く伝えられています。仏像が祈りの対象であるのに対して、これら地獄にまつわる像は、極楽も含めた仏教上の死生観をあらわすほか、罪を犯した人間の死後の裁きを見せることで、現世での日ごろの行いを正す道徳教育の材料となっていたのかもしれません。

【閻魔王と十王】  江戸時代

閻魔王は仏教やヒンズー教で、地獄の王や神とされています。他の九人の王とともに死者の生前の罪を裁く裁判官で、審理は七回行われ、最終的な審判を閻魔王が下すと一般的にいわれています。また、閻魔王は日本の地蔵菩薩と同一と考えられています。

十王_1
十王_2
奪衣婆

奪衣婆

【脱衣婆(だつえば)】  江戸時代

脱衣婆は懸衣翁とともに、三途川のほとりで亡者を待っています。三途川の渡り賃(六文)を持たずにきた亡者から衣服を剥ぎ取るのが奪衣婆。そして剥ぎ取った衣類を衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝にかけ、その枝の垂れ方で生前の罪の重さを計るのが懸衣翁です。亡者が服を着ていない場合は衣のかわりに皮を剥ぎ取るといわれています。

火車と天秤

【火車と天秤】  江戸時代

火車(写真右)は悪事を働いた亡者を乗せて地獄に運ぶ車です。天秤(写真左)は罪の重さを量ります。

火車絵

【火車絵】

法泉寺所蔵の地獄極楽図に描かれた火車。

      広報さんのへ2009年6月号(No.574) 三戸町の古寺 より

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更新日:2019年12月10日