「三戸城跡」の国史跡指定が答申されました

国史跡内定のお知らせ

   三戸町教育委員会では、平成16年度より「三戸城跡」の保存及び歴史究明のための調査を行ってきました。調査の結果、南部家本城の遺構を残す大変貴重な遺跡であることが判明いたしました。

   このことから、当町では、「三戸城跡」を良好な状態で将来へ保存するとともに活用を推進するために、令和3年8月、国に対して「三戸城跡」国史跡指定について意見具申を行いました。これを受けて、令和3年12月17日に開催された国の文化審議会において「戦国末期から近世初頭における北東北の築城技術を知る上で重要」であるとして「三戸城跡」を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申されました。

   今後は官報告示を経て正式に国史跡指定となりますが、指定されると三戸町において初の国史跡となります。

 

町長のコメント

   国の文化審議会で「三戸城跡」の重要性が認められ、国の史跡に指定するよう答申がなされたことをこの上ない喜びと受け止めております。

   三戸城跡は、町にとってかけがえのない歴史遺産であることから、国史跡指定を公約の一つに掲げていました。よって、このたびの国史跡内定は、私の悲願達成を目前に控えたもので、とても感慨深いものがあります。

   これまでの史跡に向けた取り組みにおいて、ご指導・ご協力いただきました文化庁、青森県教育庁文化財保護課、岡田康博様をはじめ三戸城跡保存整備検討委員の方々、地権者の方々、また、多くの関係者の皆様に深く感謝を申し上げます。

   今後、三戸城跡が正式に国の史跡となれば知名度が向上し、来訪者の増が見込まれます。 このため、町では、初年度は要所へ解説板の設置や城歩きルートの設定、ガイドの確保といった現地性に重点を置いた取り組みをするとともに、来訪者の増加による地域経済の活性化につながる施策にも力を入れていきたいと考えております。 なお、遺構の復元といった整備については更なる調査と研究が必要であることから、文化庁や県、専門家などから指導助言を仰ぎながら進めていきたいと考えております。

  このたびの国史跡内定について喜びを申し述べるとともに、南部家本城の雄姿が町民の誇りとなって未来に保存されるよう引き続き取り組んで参ります。今後とも、皆様のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

三戸町長  松尾 和彦

 

指定の種別:史跡

指定等の名称:三戸城跡(さんのへじょうあと)

所在地:青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下

指定対象面積:316,027平方メートル

 

 

三戸城跡上空写真(奥の山は名久井岳)

三戸城跡の歴史概要

  三戸城跡は、三戸町の市街中心部に位置しています。馬淵川と熊原川の浸食によって形成された標高約131メートルの河岸段丘上に築かれ、城下との高低差は約90メートル、四方は名久井岳や奥羽山脈に連なる丘陵に囲まれる天然の要害となっています。

  三戸城跡は、室町時代後期から江戸時代初頭まで三戸南部家の居城であったと伝えられています。江戸時代の史料『系胤譜考』によると、天文8年(1539)南部晴政の代に、居城としていた本三戸城(現南部町・聖寿寺館跡)が家臣の放火により焼失したため移転したとされています。しかし、近年の研究では、南部家の勢力拡大に伴い、三戸が地勢的に有利である点や権力に見合った大規模城郭の必要性などにより移転したとする見方もされています。

  天正18年(1590)、小田原攻めに参陣した26代当主南部信直は、豊臣秀吉から「南部内七郡」の領有を認められますが、この時、三戸城が正式な居城(本城)に定められていることが『豊臣秀吉朱印状から確認されます。

  その後、三戸南部家の居城は福岡城(二戸市)、盛岡城(盛岡市)へと移りますが、三戸城は残され城代が置かれます。また、貞享年間(1684~88)の城代廃止に伴い古城となってからも、御掃除奉行が設置されるなど、江戸時代を通して城は管理が続けられました。

 

保存に向けた取り組み

平成16年度  三戸城跡の保存地区選定のための試掘確認調査を開始

平成25年度  保存地区選定のための試掘確認調査を終了

平成26年度  三戸城跡の遺構精密調査開始

平成27年度  城山管理運営委員会へ城跡の保存へ向けた説明会(4/23)

                  町文化財審議委員へ城跡の保存へ向けた説明会(6/11)

平成29年度  第1回三戸城跡保存整備検討委員会(7/11)

                  第2回三戸城跡保存整備検討委員会(11/10)

平成30年度  第3回三戸城跡保存整備検討委員会(5/29)

                  第4回三戸城跡保存整備検討委員会(11/29)

令和元年度  第5回三戸城跡保存整備検討委員会(7/23)

                  第6回三戸城跡保存整備検討委員会(11/18)

令和  2年度  第7回三戸城跡保存整備検討委員会(5/25)※書面審議

                  第8回三戸城跡保存整備検討委員会(11/10)掘調査総括報告書作成

                  三戸城跡発掘調査総括報告書刊行(3/24)

令和  3年度  三戸城跡国史跡指定意見具申書提出(8月)

 

調査成果

   三戸城跡の調査は、平成16年度から令和元年度まで延べ15回に渡って行われてきました。調査は発掘作業が中心でしたが、他にも絵図・古文書といった史料の収集整理や石垣石材産出地の特定をするなど、考古学だけではなく歴史学や地質学を総合して調査に取り組んできました。

   調査の結果から三戸城跡は、出土した陶磁器の年代により15世紀頃から城として機能していたことが判明し、南部家の本城に位置付いてからも数回に渡り大きな改変を受けながら17世紀初頭までに現在の曲輪(※)配置になったとみられています。特に石垣は構築方法などから、奥州仕置後と元和期(1614~23)に大きく分けられることが確認されています。なお、大門跡からみつかった門礎石の構造は、奥州南部領の城郭では当時最大規模の城門であったことが判明しており、南部家の高度な築城技術と権力を示す遺構として注目されています。

   以上のことから三戸城跡は、戦国時代から江戸時代初頭にかけての北東北の城郭史を考える上で重要な城跡と言え、後世に残すべき歴史遺産と評価されます。

※曲輪とは:平らな空間として区画された整地のこと。外縁には堀や土塁・石垣といった防御機能も施される。

 

発掘調査で検出された遺構

水路状石組遺構(鍛冶屋敷跡)

井戸跡(奥瀬与七郎屋敷跡)

門礎石(大門跡)

本丸跡石垣

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会事務局

〒039-0198
青森県三戸郡三戸町大字在府小路町43
電話:0179-20-1157 ファクス:0179-20-1114

更新日:2021年12月17日