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名誉町民

 

三戸町の名誉町民をご紹介します。

第42代横綱
鏡里 喜代治

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 鏡里は、三戸町大字斗内字野月で生まれ、昭和15年に相撲界入りし、翌16年1月の春場所で初土俵を踏みました。その後序二段、三段目優勝を経て、22年6月の夏場所で新入幕。26年1月の初場所に大関昇進。そして、大関6場所目の28年1月、初場所には14勝1敗の好成績で初優勝。場所後に29歳で第42代横綱に推挙され、本県初の横綱になりました。
その後も堂々たる太鼓腹で、右四つ左上手を引きつけて、じっくり寄る重厚な取り口で、30年秋、31年初、秋場所と合計4度の優勝を経験しました。また、土俵入りの美しさは歴代横綱の中でも五本の指に入るといわれ、33年1月には多くのファンに惜しまれながらも引退。その後は、一代年寄鏡里を襲名し、後進の指導にあたりました。
平成元年に三戸町から名誉町民の称号が贈られました。
平成16年2月29日、永眠されました。
本   名 奥山喜世治 幕内成績 360勝163敗28休
生年月日 大正12年4月30日 勝   率 0.688
出 身 地 三戸郡斗川村(現在の斗内字野月) 優   勝 4回 ①昭和28年1月初場所
②昭和30年9月秋場所
③昭和31年1月初場所
④昭和31年9月秋場所
四 股 名 鏡里
所属部屋 粂川部屋→双葉山道場→時津風部屋
初 土 俵 昭和16年 1月場所(17歳)
十両昇進 昭和20年11月場所(22歳) 三   賞 殊勲賞1回 敢闘賞1回
入   幕 昭和22年 6月場所(24歳) 身   長 172cm
最終場所 昭和33年 1月場所(34歳) 体   重 161kg
最 高 位 横綱 得 意 手 右四つ、寄り切り、上手投げ
幕内在位 38場所 年 寄 名 鏡里→粂川→立田川→時津風→立田川

 


 

宝泉院住職
佐藤 義典
sato-giten  佐藤義典さんは、大正4年、三戸町大字斗内字田屋ノ下に生まれました。
昭和18年に駒沢大学仏教課卒業後、昭和21年7月から昭和33年4月まで南郷村「養真寺」住職、昭和25年4月から昭和29年3月まで同村立中沢中学校教諭を務めました。この間、青森県民生委員、青森県八戸地方裁判所調停委員、青森県司法保護委員等の要職を歴任されました。
昭和33年4月神奈川県秦野市「宝泉院」住職に就任。また、神奈川県仏教会常務理事、神奈川県秦野市仏教会会長、曹洞宗審事院審事、曹洞宗大教師等の要職を歴任しました。
昭和52年に斗内小学校百周年記念としてグランドピアノを寄贈し、平成元年から平成16年にかけて、計1億1千万円を寄付しました。寄付金は佐藤義典奨学基金として、現在町の多くの学生に利用されています。
これら三戸町の事績により、昭和52年、平成16年までの間に三戸町善行表彰を3回、青森県褒賞を6回、紺綬褒章を7回受章しています。
平成18年3月、永眠されました。

 


 

元参議院副議長
松尾 官平
matsuo-kanpei  松尾官平さんは、昭和2年、三戸町大字八日町に生まれました。
昭和27年4月に三戸町教育委員に就任されました。25歳の時です。以来、昭和30年3月まで、町の教育振興に尽力されました。
昭和38年4月の青森県議会議員選挙に初出馬ながらも最高得票で当選。以来、昭和55年5月まで連続4期1ヵ年、通算17年間青森県議会議員を務め、昭和50年5月からは、青森県議会副議長を務めました。
昭和55年6月、参議院議員に初当選してからは、2期4ヵ年、通算16年間参議院議員を務めました。その間、沖縄開発政務次官、労働政務次官、参議院環境特別委員長などの重責を歴任し、平成7年8月から平成10年7月まで、青森県政初の参議院副議長に就任しました。
町の商工業や観光をはじめとした、さまざまな分野で活躍し、三戸町商工会長、三戸町観光協会長、三戸地区交通安全協会長、全国労働保険事務組合連合会長、全国商工会連合会相談役、青森県心身障害者雇用促進協会長、青森県出稼者団体連合会長等の要職を歴任しました。
これら数々の要職を務めた事績により、平成10年11月、秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章しました。
平成11年には、三戸町から名誉町民の称号が贈られています。

 


 

漫画家・絵本作家
馬場 のぼる
baba-noboru  馬場のぼるさん(本名馬場登)は昭和2年、三戸町大字川守田字元木平に生まれました。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、3,4歳の頃は家の壁や柱に落書きをしていました。旧制中学を4年で修了したあと、農業、大工、代用教員、ポスター描きなどいろいろな職業に就きましたが、どの仕事にも満足が得られませんでした。
昭和24年に漫画家を志し、上京しました。戦後間もない頃で、東京での生活ができるかどうか全くわからない時代です。三戸町出身の児童文学者、白木茂氏から書いてもらった一通の紹介状といくつかの自作漫画を携えて小学館の玄関をくぐったのが、漫画家としてのスタートでした。
野球漫画「ポストくん」でデビューし、児童漫画の売れっ子になりました。その後、大人向けの漫画に移り、昭和45年から日本経済新聞に4コマ漫画「バクさん」を14年間連載しました。
絵本の分野では「11ぴきのねこ」シリーズが6冊で350万部のロングセラーとなり、海外では4カ国語に訳され、国内外で多くの人々に親しまれています。絵巻えほん「11ぴきのねこマラソン大会」は、昭和60年イタリアのボローニャ児童図書展でエルバ賞を受賞し、国際的な評価を得ました。
昭和31年の小学館漫画賞、平成5年の日本漫画家協会賞、文部大臣賞など、日本漫画界での数多くの受賞歴のほか、平成7年には紫綬褒章を受章、平成11年には三戸町から名誉町民の称号が贈られました。
平成13年4月7日、永眠されました。

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